About Me メニュー
宗家ごあいさつ
皆さん、はじめまして。正伝 北辰一刀流 第七代宗家 椎名市衛成胤のページをご覧いただきありがとうございます。私は、縁により、武士道の神髄を授けられました。それを後世に残したいと思っています。
さて、私が熟視するに、今あるすべての武道は、明治以後の経済社会が生み出したもので、それ以前に存在した武士道とは無関係のものになっています。このままでは、現代武道が日本人の大きな害となって、日本を食いつぶしてしまいます。
本物の武道は、特に戦後、消し去られてしまい、今の日本人の生き方はめちゃくちゃと言っていいでしょう。そのような、現代武道毒から、日本と日本人を再生するために、命を削るのが私の使命です。
本物の武道がサムライを作ったように、本物の武道は、正しく修行することで、人間を本来状態に戻し、世の中の毀誉褒貶に煩わされないで生きる、不動の精神を与えてくれます。
人生に不安や不足を感じたとき、そんな時は、ぜひ、北辰一刀流を学んでください。何歳になっても、難しいことではありません。【やるならば、今しかないぞ ‼】と古人は言っています。そして、【諸人よ、後悔したくなくば、正師に就きて学べ】とも言っています。
「私には敷居が高いかも?」などと気後れすることはありません。「案ずるより生むが安し」と言います。気軽に、門を叩いてみてください。
このHPをよく読まれ、私と共に自己を高め、真の人生を歩みたいと思う人が現れることを切望しています。
詳しい話は下記から
宗家プロフィール
人物略歴
椎名 市衛(しいな かずえ)
1953年(昭和28年) 5月17日生まれ
茨城県在住の北辰一刀流の伝道者。
北辰一刀流 第七代宗家で武号は成胤(なりたね)。
茨城県龍ケ崎市に生まれ、大学卒業後、剣道修業。
31歳公立中学の数学教員、52歳退職。
同年、道場床工事「武床工舎」を創立。剣道場床工事の専門家として、日本並びに海外にて道場建設を行う。剣道場床工事の専門家。
2013年(平成25年)北辰一刀流 宗家継承。
現在は、日本のみならず世界各地で剣術等の指導を行う。
経歴
中学に入り剣道を始める。最初に師事したのは、元陸軍大尉 武田治衛教士。後に北辰一刀流 第六代師範 谷島三郎教士の指導を受ける。剣道は同級生の中で一番下手であったが、恩師の「大器晩成という言葉がある」との励ましで、挫折を乗り越えて今日まで剣の修行をしている。
文武の名門、茨城県立竜ヶ崎第一高等学校に進学し。剣道部主将を務め、インターハイに出場。芝浦工業大学へ進学し、剣道部で佐藤博信(当時警視庁師範、教士七段)範士に出会い、人間的技術的な影響を受け、以後、亡くなるまで42年間師事した。
・25歳、全日本中央講習会で小川忠太郎範士と出合い、精神的な影響を受け私淑する。小川範士の主催する人間禅教団宏道会で、禅と短竹刀の修行を始める。
・30歳、日本農業実践大学校(現 日本農業実践学園)で直心影流第15世 山田次郎吉の継嗣加藤完治の愛弟子、酒井章平から直心影流「法定」の指導を受ける。以後、法定を根幹に剣道を修業。
・31歳、突き名手として有名であった皇道義会 青木秀男(北辰一刀流)教士に引き合わされ、竹刀作り、振り棒鍛錬法、身体基礎動作、基本打突法等を受ける。
・35歳、谷島三郎教士より北辰一刀流「切り返し」の伝授をうける。それを機に、北辰一刀流組太刀「格」の指導が始まる。同年、大祢一郎範士から体当たりを伝授される。恩師達が他界すると、他の武術の名人を研究するようになった。弓道無影心月流 第二代 鷺野 暁に入門したのもこの時期。
・53歳で教員を辞職、雑誌「剣道日本」に連載開始するとともに、国内外で武道講習を開始する。
・2013年11月、北辰一刀流 宗家継承式が行われ、千葉家からお玉が池「玄武館」に安置してあった妙見大菩薩、相伝の守り刀「桜花妙見丸」を受け継いだ。
・2017年11月、剣道七段を返上。全日本剣道連盟から離れる。
・2023年より、宗家公認アンバサダーでもある株式会社EMI-TASが主催する「EMI Salon」の講師としても活動中。
現在は自宅道場他で自己修行と門人指導を行っている。
傘下の道場
〈 国内 〉
・総本部道場「尊星閣」(龍ヶ崎市)
・関東本部道場「北辰館」(神田お玉が池)
・関東支部道場「北辰さとみ塾」(北区王子)
〈 アメリカ合衆国 〉
・北米本部道場「竜ヶ峰道場」(ラスベガス)
・北米支部道場「北辰塾」(フェニックス)
・北米支部道場「飛翔道場」(ロサンゼルス)
著書
・剣道日本
「剣道界の宝物」
「剣魂の世界」
「目から鱗の基礎固め」
「達人指南」
「仰ぎみる剣の道」
・ラスベガス・ジャパンタイムス
「武士道」(連載中)
・日本武術武道大事典
「剣術・剣道」


武道の目的
武道の良さ
武道の本当の良さは、人を「強く」してくれるところにあります。
でもその強さは、誰かに勝つ力ではありません。つらいことや不安から逃げずに、前に進む力のことです。
サムライが目指したのも、そんな心の強さでした。『葉隠』には
「武士道とは、死ぬことと見つけたり」
という有名な言葉があります。
これは「命を軽く考えろ」という意味ではありません。むしろその逆で、覚悟を持って生きろ、という教えです。死を怖がるだけでは、本当に自分らしい生き方はできない、ということです。
人は誰でも、失敗や批判、将来への不安が怖いものです。でも、その怖さを乗り越える心があれば、人生はずっと自由になります。サムライは、その心を剣の修行を通して鍛えていました。
刀が「武士の魂」と言われたのは、強い心を育てる道具だったからです。
武道は今でも、私たちに「折れない心」を教えてくれます。
剣術の良さ
昔の剣術では、「どうすれば死を恐れない心を作れるか」を、とても大切にしていました。
直心陰流では「法定之型」、
念流では、笊をかぶって相手に背中を打たせながら前に出る稽古、
新陰流では「合っし打ち」、
北辰一刀流では「切り落とし」。
流派は違っても、これらの稽古に共通しているのは、「相打ち」を前提にしているという点です。
相打ちとは、お互いが斬られる覚悟で打ち合うことです。
つまり、相手を倒すことよりも、「自分が斬られるかもしれない」という恐れに向き合う稽古でした。
打たれることを怖がらず、前に出る心を作るための稽古だったのです。
人は、死や大きな失敗を強く恐れます。
その恐れがあると、体も心も止まってしまいます。
昔の剣術は、その恐れを乗り越えるための修行でした。
だからこそ、これは剣術でしかできない稽古であり、剣術の大切な考え方なのです。
人にとって、死ほど怖いものはありません。
その一番の恐れを乗り越えられたら、他のことも必要以上に怖くなくなります。
試合でも、稽古でも、そして日常生活でも、堂々と行動できるようになります。
剣の達人・山岡鉄舟は、
「剣の極意は何ですか」と聞かれて、
「浅草の観音様に預けてある」と答えました。
実際に探してみると、お寺の本堂には
【施無畏(せむい)】という額が掲げられていました。
これは「恐れのない心を与える」という意味です。
鉄舟が伝えたかった剣の極意とは、
強い技を身につけることでも、勝つことでもなく、何ものも恐れない心を育てることだったのです。
負けない人になる
どんな名人でも、自分より強い人には勝てないというのは、変わらない事実です。
どれほど強くなり、何度も勝ったとしても、年を取れば体は弱り、いつか必ず負ける時が来ます。だから、勝つことだけに人生のすべてをかけるのは、意味のないことなのです。
しかし、「負けない人」になることは可能です。
世界チャンピオンとしていられる期間も、長くて数年です。その一瞬の勝利がうれしくても、長い人生の中で、勝ち続けることで幸せを保つことはできません。
それどころか、勝った経験や名誉にとらわれると、うぬぼれてしまい、人生を間違える原因になることもあります。勝つことだけを目標にしても、不安や不幸、恐れから自分を守ることはできないのです。
剣術の稽古は、今の体の強さだけを求めるものではありません。一生使える心の強さを育てる稽古です。
心は、困難に出会うことで成長します。しかし、誰も本当の困難には出会いたくありません。だからこそ、稽古という安全な場で、困難を疑似体験し、心を鍛えるのです。
剣術の稽古で大切なのは、勝つことではありません。負けたとき、どう心を立て直すかです。
負けて落ち込んだ心を、もう一度前に向かせる練習をしているのです。
剣術では、負けたところにこそ大切な学びがあります。そのため、優れた指導者は「相打ち」の稽古をさせます。相手を斬り、自分も斬られる稽古です。
相手に勝てなくても構いません。その代わり、相打ちなので完全な負けにはならないのです。
これを、「負けない稽古」といいます。
相打ちは、どちらも傷つくため、多くの人が嫌がります。しかし、相手も嫌がることが大事なポイントです。
本気で覚悟を決めれば、相手は相打ちを避けようとします。すると、初心者でも名人と対等に向き合えるのです。これが、武道の本当の大切な考え方です。
この覚悟を身につけた人は、人生でも強く生きられます。
系譜
北辰一刀流 系譜
直心影流 系譜
その他の系譜
※上記の系譜図は、椎名市衛成胤が各師範から教えを受けたことを意味しています。










